胸に刺した針は、まあまあ痛かった。 けれど、そんなんよりも 「多分癌だね」 という先生の言葉がガンガン頭に響いてたし、 病院のお会計後も母に電話しながら 泣いてたら、とても運転して帰れそうになくて、 タクシーの中でも泣き続けた。 そこから数日間は、 職場の人には何も言えず、 よく覚えてないけど、暗かったと思う。 家族も、暗かった。 ご飯の味もよくわからなかった。 また検査結果を聞くために仕事を休んだ。 「次は、付き添いの方と一緒に」 と病院で言われたので、 普通は親と行くんだろうけど、 親だと本当に癌だった時を想定してるみたいだよね。 違う可能性だってまだあるんだ!っていう願をかけて、 なぜか弟と一緒に行くことになった。 弟も仕事を休んでくれた。 病院に行く間、弟と無言だった。 診察が回ってくると、 予想してない答えだった。 「先日採取した細胞は、癌と確定はできません。 なので、もうすこし胸を切ってさらに調べましょう。 今日はその検査手術の予定を決めましょう。」 もやもやは、晴れないし、 より一層、もやもやが濃くなる言葉にまた落ち込んだ・・・ 手術の予定は混みあっていて、 1カ月以上先だった。 スマホはない時代だったので、 家のパソコンで 「乳がん、治療」 「乳がん 余命」 「乳がん 完治」 「乳がん 20代」 「乳がん かつら」 ・ ・ ・ 検索履歴は乳がん一色になっていたし、 ネット検索すればするほど、 落ち込む毎日だった。 つづく。
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